瘴鶴ひとり旅 栃木県足利市から栃木市への旅(1) (2021/10/30)?
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こんにちは 正規空母瘴鶴です 先日栃木県足利市から栃木市への旅にいってまいりました こちらは今回の旅の起点、JR両毛線足利駅です 足利市は栃木県南西部に位置し、その名前のとおり室町将軍・足利氏発祥の地として知られています 本日は秋晴れとは程遠く、鉛色の雲からは時折雨粒が零れ落ちる、ぐずついた天気となりました
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JR足利駅から北西に約800mを移動します 今回の第一目標はこちら、足利市家富町 金剛山鑁阿寺 太鼓橋・山門前です 鑁阿寺は、足利氏2代目の足利義兼により創建された真言宗の寺院で、寺名の「鑁阿」は義兼公の法名だそうです
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鑁阿寺の敷地は元々足利氏の館であり、「史跡足利氏宅跡」として、大正10年3月に、国の史跡に指定されました 敷地の周囲は水堀と土塁が設置され、現在では「日本の名城百選」にも指定されています たしかに寺院とは思えない立派なお堀ですね
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屋根のついた太鼓橋を渡り、境内に入ります 本堂向かって右手方向には袴腰のついた鐘楼があります 鎌倉時代の建築、桁行三間、梁間二間、入母屋造の本瓦葺で内部に吊るされている鐘は江戸中期の鋳造だそうです 失われたものは戻ることはありませんが、初代の鐘はどのようのものだったのでしょうか
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本堂向かって左手方向にある多宝塔は方三間の銅板葺瓦でその高さは約20m、江戸時代初期に徳川綱吉の生母、桂昌院尼公によって再建されました 毎月23日の午後から夕方にかけて開扉され、参拝時にいただけるお種銭は「お金に不自由しないお守り」として有名です
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そして正面側には本堂があります。 室町将軍足利尊氏の父・貞氏が鎌倉時代に再建したもので、桁行五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺の堂々たる建造物で平成25年には国宝に指定されています 屋根中央の瓦左右6列分の色調が他のものと異なるのは、葺替えを実施した際に、中世の瓦を正面中央付近に集中させているためです 御本尊は大日如来で、市民の皆様からは「大日様(だいにちさま)」として親しまれているそうです
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本堂脇にあるのは宝形造の一切経二千巻余を保管する建造物、一切経堂です 現存の経堂は室町時代に再建されたもので、桁行一間、梁間一間、本瓦葺で内部は輪蔵形式になっています
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鑁阿寺の敷地は、有力御家人の館跡だけに広く、面積は約4万平方メートルを有し、敷地内にはそのほか諸堂が配置されています 諸堂としては宝物蔵としての校倉、源氏の祖霊を祀る御霊屋などがありますが、中でも注目するのはこちら蛭子堂です 名前からして只者ではない響きですが、別称を時姫堂ともいい、義兼公の妻、北条時子を祀っています 不義の濡れ衣を着せられ自害したといわれる時子姫にまつわる物語は悲しくも不思議なものです 書けば長くなる話なので省略しますが、その終末はなかなかに衝撃的なものでした
ここで鑁阿寺を離れ、南西に移動します
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鑁阿寺から通り一本を隔てた向こう側、足利市昌平町に史跡足利学校跡があります 創設は平安時代初期、もしくは鎌倉時代であると伝えられ、明治初期に廃校になりました その後学校跡は大正10年に国の史跡に指定され、平成27年には「近世日本の教育遺産群」のひとつとして日本遺産に認定されました 日本に初めてキリスト教を伝えた人物として有名な聖フランシスコ・ザビエルは布教本部に宛てた書簡の中で、足利学校を「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」として紹介したそうです こちらはその第一の門「入徳門」です。
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門をくぐり奥に進むと見えてくるのが孔子廟大成殿です 江戸中期に建築され、正面五間、側面六間、屋根は数寄屋造の本瓦葺、大成殿を囲んで塀をめぐらせ、正面に門を構える構成です 大成殿の中央に孔子像、向かって右側は足利学校の創建者とされる小野篁像が祀られています
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この大成殿の正面向かって左側に、東郷平八郎提督が植樹した月桂樹があります 植樹日は明治39年12月23日、日露戦争後、ここで開催された式典に参加した折に、記念として植樹されたものだそうです
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右側には同じく月桂樹が伊東祐亨提督、上村彦之丞提督にて植樹されています 植樹日は東郷提督と同一日と表示されています 植樹者の3名はそれぞれ日本海海戦時の連合艦隊司令長官、軍令部長、第二艦隊司令長官という錚々たる顔ぶれです
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孔子廟の右側には庫裡及び方丈があります 足利学校の廃校後、取り壊されたましたが、平成2年に復元され現在の形になりました。 手前側、破風のついた建物が庫裡です。教授や学生の日常生活の場であり、竃のある土間、板敷の台所などで構成されています 奥の唐破風玄関のついた建物が方丈で、こちらは講義や行事で使用され、4間の畳敷と須弥壇が配された2間の板敷などで構成されています
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庫裡及び方丈を最後に足利学校を後にし、しばし市内を散策します 足利学校より南西に約500mを移動した足利市通2丁目に足利市立美術館があります こちらでは特別展「諸星大二郎展」が開催準備中です 諸星先生といえば「例年にない厳しい〇〇」「困惑した」「ツァ!」で有名な漫画「ダオナン」の作者として有名ですね
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足利市立美術館より通りを挟んだ向かいの路地奥には、何とも言えない風情を醸し出す一角があります こちらは足利市井草町の通称「劇場通り」です 映画館だった建物には蔦がからまり、多くの人が行き交ったであろうアーケードは錆び、看板の文字は赤色が抜けかけています 鑁阿寺が中世の文化財、史跡なら、ここは近世の文化財でもあり史跡でもあります 時間が止まったようなこの場所にもう少しこの場所にとどまりたい、という欲求を抑えつつ、足利市を離れ次の目的地に足を進めます(続) (収録日:令和3年10月16日)